こんばんは、ばんりです。以前、休日に職場から連絡が入り、「お客様からクレームが入った。〇〇に関してどのように対応したか教えて欲しい。」と連絡が入りました。いくら楽しかろうと、仕事とプライベートは分けたい人間なので、休日にこんな連絡入ってくるだけでもげんなりですが、自分が悪いかもと思い状況を返信しました。解決されたかどうかを待つ時間って苦痛ですよね……・
クレーム結果
結果としては、そのクレームは僕自身、というよりは僕の会社とお客様の間にいた仲介会社の対応に誤りがあったことがわかりました。よかったとホッとしましたが、自分が行ったことが関連してミスが起こり、同僚にその対応をさせてしまったことがもやっと胸に残りました。お客様とやりとりしていたのは僕なので、クレームは僕の会社に入り。でも結果、仲介に問題があったって。仕事では往々にしてこういったことがありますが、ちょっと自分のせいじゃないのに。その仲介が悪いのに何でクレームを入れられないといけないんだと悔しくなってしまいました。
違う違う、そうじゃ、そうじゃな〜い
ですが、結局それでは他責なんです。ミスなどの何らかの問題が起こった時に、他責をしていると、自分の行動に誤りがあったか客観的に見直しができません。こういう時こそ自責思考。なぜ自責かって?後でお話しさせてください笑
ということで、一応振り返りを行いました。
ありましたよ、僕の問題も。笑 できることとしては「可能性の示唆」でした。お客様のクレーム内容としては今回のミスにより、お客様自身の一日のスケジュールが狂ってしまったということです。
僕自身はお客様のご要望通りに対応をしましたが、仲介が入る以上、不測の事態が起こることは言葉にしてお伝えすべきでした。当たり前にわかっているだろうな、という僕自身の慢心が招いたミスです。その言葉があればお客様もご不安や憤りなど感じなかったかもしれません。
あとは、僕の電話対応に何らかの可能性があった可能性。学んだ電話応対力でお話しし、言葉遣いも丁寧にし、抑揚や間、ご不安に思っていらっしゃることも無いようにとお言葉添えしたつもりでした。しかし、それが「つもり」という点で、お客様にはその電話対応がクレームに繋がるような内容だったのかもしれません。感情的な部分で。
この辺りの反省を次回に生かすことで、今回と同じクレームは防げるかなぁという感じです。
他責ではなく自責
ほいで。僕自身もできるだけ心掛けているし、一般的にもよく聴くであろう「他責ではなく自責」。なぜ良いか。
結果的に「楽」だからです。
頭ではわかるんですけど、難しいって話しますね。
他責ではなく自責が楽なのは、「自分は変われるけど、人は変えられない。」ってのがあるからだと僕は考えています。で、変えられないことに思考という労力と時間という資源を使うのは無駄だから。
誤解してほしくないんですけど、もちろん時と場合にはよりますよ?言わなきゃならない時もある。飲食店行って、明らかに注文していない料理の代金も請求されて、それも自責だ。って、泣き寝入りするのは自分がしんどいじゃないですか。そういう場合はちゃんと言ってくださいね。
加えて、「人は変えられない。」であって、人は変われないとは言ってませんよ笑 人は変われます。自分も変われます。ただ、人は変えられません。何かきっかけを与えることや、同じ周波数で共振して変化を共に感じていくってことはできるでしょうけど、誰かが変わったとしたら、それはほぼほぼ、その人自身が決めて変わったってことです。良くも悪くも笑
まあ実際。変に変わってしまった友人がいたとして。お前が勝手に変わったんやん!とは言わなし、思わないですけど。なんかあったかな?変な人に騙されてないかな?と不安になりますね。
えー。すみません。横道に逸れました。
言いたいのは他責することで、その原因を作った人が変えられるかというとノー。
一方自責だと、自身の行動・言動を変えることで今後の変化が見込まれる。自分自身は自分自身の考えだけで変えれますから。ちょっと○泉構文チックですか?答えはイエスですか?🐝
ただ正直、他責しちゃうんですよ。一見その方が楽じゃないですか。あいつのせい。俺は悪くない。この二つの思考で終わりますしね。自分を正当化することで心の安らぎも得られる。怒りや悲しさ、悔しさを消化できたと錯覚もできますし。
もし、もう一度同じ問題が起きた時。他責だと、また同じ感情に見舞われるんですよ。変化がない。またイラっとする。何で自分はちゃんとしているのに周りが足を引っ張るんだ!ああ!もう!って以前の分の怒りも倍々に重なっていくかもしれませんね。
自責の良いところはこれを避けられる可能性が大きい。自分の行動だけで変えられる可能性がある。
例えばプランXという仕事があるとして(カッケェ)。自身で期日通りに完成させたそのプランを上司に伝えるように後輩Aに頼んだとします。
後日上司に呼ばれ、プランXの話が来ていない。どうなっていると叱責を頂戴したとしましょう。
後輩Aが忘れていたとしたら後輩Aのせいになりかねませんけど、
・そもそも大切なことなら自分で伝えに行く。
・時間がなく、自身で行けない場合は上司にメールなどで「詳細はAに渡した書類に書かれています。何月何日何時頃には到着予定です。」など証拠を残す。
・情報自体をデータとして送信する。
・後輩Aより信頼できる同僚などに頼む
・時間を作る
などなど。大量にできることがあるわけですよ。社会人やとそもそも他責にして解決することがないと思うのでこんな事例で他責することはなかなかないかもしれませんが。この場合やと後輩Aを育てることも必要になって来ますし。あくまで例えですよ。
会社のこと以外でも、起こった問題って他責にできるし、しちゃいがち何ですよね。他人に求めるのは協力で、まずは自分のできることを最大限に考える。何か問題が起きることもある。その時に自責が癖づいておけば、また考えて改善に繋げられる。自責が一番結果を変えやすい。だから楽。何です。
単純に何でも人のせいにしてたら気苦労耐えなかったり、人信じれなくなったり疲れるのもありますしね〜。
で。自責に大切なこととして。「自分のせいだ」で終わったら意味なしです。自己肯定感低くするだけです。
自分が悪いかもしれない。悪かったところはどこだろう。あれは改善できるな。これ以上は一人じゃ限界だな。誰かに協力してもらうことも必要だな。
とか。やっぱり思考を放棄した先には楽はないですね。思考の放棄は問題の先送り(うっ。と、自分にもダメージが入る言葉です)。
自責癖。難しいのは重々承知です。でもその方が楽だし、同じ問題、似た問題に直面した時に対応も取れます。成長できます。何かに執着も依存も不要です。
自分自身の人生は自分自身の選択で。ちょっと自由に楽しく生きられる人が少しでも増えればなと思います。
では今日はこの辺で。おやすみなさい。
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