子供から学ぶのは大人の特権

ちょっと自由に生きている

 こんばんは、ばんりです。
 僕は今、アロマを扱うお店で販売員の仕事もしています。現在の夏休み時期には、いつもは大人ばかりのお店に、通りがかりでお子様連れのお客様もご来店されます。子供の純粋さには頭が上がりませんね笑

無邪気な子供たち

 本日ご来店くださったお子様は本当に元気で、無邪気で、明るい、こちらが元気をもらえる子達でした。

「この香りを嗅いでみたい!」「この色のは何?」「いい香り!欲しい!」「この香りはスッキリして大好き!」

と、思ったことを全部話してくれます笑 もちろん、中には気に入らない香りもあり苦手な顔をするんですが笑

 子供のすごいところは、遠慮がないんですよね笑 良くも悪くもと言えるかもしれませんが。思ったこと、感じたことを脊椎反射かというくらいに正直に話してくれます。色で言うと、白。これから何色にでもなれる、そんな可能性を秘めたパワーの塊ですね。白って200色あるねん?いやいや。子供達の可能性は200通りを優に超えます。

 で。子供のこういった感受性のいうのは、深さや広さで言ったら、成長とともに磨かれていくのだと思います。ただ、こと表現するという点においては、一体どれほどの人が成長できているのでしょうか。

表現をする

 感じたこと、思ったことを表現する方法は、成長するにつれて知識として増えていくでしょう。表現力というのも、人生の中の様々な経験の中で高まっていくのだと思います。

 ただ、最後にそういったことを、ちゃんと、自分に嘘偽りなく表現したのはいつですか。ちゃんと自分の表現できているでしょうか。

 周りの目、反応を気にして我慢していることや、自分の感情に蓋をしていることが社会に出てからどれほどあったでしょうか。僕自身は何十回、何百回とあります。「ここでこれを言うと場がしらけるかもしれないな。」「この発言は間違っているかもしれないな。」「これを言っても無駄かもしれないな。」これまで何度、考えたことを口に出さず飲み込んできたでしょうか。

 それはもちろん、その場面、場面の空気を読んで、場を淀ませない、円滑なコミュニケーションのために必要なことです。これが、大人になることの一つと言えるでしょう。

 でも、ずっと表現をしないことを繰り返していると、表現の仕方を忘れてしまいませんか。自分の人生なのに、自分を殺して我慢することは、誰のための人生なんでしょうか。表現をするということは、僕自身、あなた自身を確立することと言えないでしょうか。自分を確立する、自己表現を、誰に咎められるいわれがあるんでしょうか。子供たちはそんなことを気にせずに言葉を発します。

 自分らしく生きる。という点では、大人よりも子供の方が体現できているのではないでしょうか。自己の確立の途中段階にいるはずですが。言いたいことを言えないという環境は、大人になるにつれて形成されていくような、本来できることが増えるはずの大人への変化が、表現する機会を狭めていく、そんな息苦しさを最近は感じます。

だから子供に戻ろうか!

 だから子供に戻ろうか!と、そんなことを言いたいわけではもちろん無く。笑

 大人になった今だからこそ、子供から学べることがあるよねって話です。いろんなことを経験して、感じて、自分らしく、よりも自分を守ること・周りと調和することを多くの人が学んできたんだと思います。多くの人と関わり、社会で生きていくには必要不可欠な能力です。

 ただ、一方で。当たり前の話ですが、使わない能力は衰えていきます。感覚も養わないと錆びていきます。表現をすることを辞めてしまえば、表現をすることを忘れていき、自己表現をしないことが当たり前化していきます。我慢すること、周りに合わせることが普通になっていきます。

 別にダメってわけじゃないんですけど、本当にそれが楽しいのかなと思ってしまいます。と、言うのも。何度も言いますが僕自身が、周りの目を見て顔色を伺ってばかりしていて生きづらいと感じていたからです。今でもその癖は抜けきっていません。

 が。好きなことを好きと言う。面白いものを面白いと笑う。感謝は素直に伝える。本当に、ただ、少し意識してそれをするだけで、「自分」と言うものが見えてきます。らしく生きると言う、心に楽な人生と出会えるかもしれません。

 らしく生き、行動することで、その自分らしさとマッチする人たちとの出会いはきっとあります。自分を認めて行動することにはそれだけのエネルギーが伴います。僕もこのたった一年で色々な人と出会いました。

 自身が変化することによって、今まで属していたコミュニティでの息苦しさを感じるかもしれません。しかし、それは仕方がないことと言わざるを得ません。自分が変化するのだから、その周りの環境も当たり前に変化していきます。今までの環境が自分と同様の変化を起こすとは限らない。

 変化のある刺激的な人生を生きるか。変化が少なく、刺激的でもないけど安定のある人生を生きるか。はたまた、変化はあるが刺激的すぎて身を滅ぼしたり、変化なく、我慢の連続でストレスを溜め続ける人生を生きるか。選択は君次第だ。うーん、天秤。

要はバランス

 最後にこんな雑なまとめ方をしてしまいますが、要はバランス。

 子供の純粋な表現ってのは、自分自身の気持ちを出し、自己を確立する手段としては、我慢ばかりする大人には必要なことと言えます。

 大人の持つ、空気を読み、調和する力は人と人とが生きる上では不可欠な能力です。

 一方に偏りすぎると、それは大きな問題を生むきっかけになり得ます。

 自分の内側の状態を見ること。逆に周りに表現すること。周りから吸収できるものもあれば、自分から発信することもある。それのどこかに偏りが生まれると、バランスが崩れ、生きづらさが募ると。そんなことがあるかもしれません。

 周りを見ると、今の自分に足りないものというのは、驚くほどに転がっています。それに気づくか。気づいて行動に反映するかは自分次第。人生とはなんと難しい遊び場なんだ。

 バランス感覚を養いつつ、多くの人が自分らしさを見つけることで、ちょっとずつでも心に自由を取り戻し、楽しく生きる人たちが増えればなと今日も今日とて思っております。もちろん僕自身も笑

 子供たちに教えることが多い大人も、子供から学べることがたくさんある。

 今日もここまで読んでいただきありがとうございました。

 ほな、今日はこの辺で。おやすみなさい。

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