人生について考える

ちょっと自由に生きている

 こんばんは、ばんりです。人生ってなんなんだろう、と考える機会がありました。答えは見つかりませんが、人生ってほんとなんなんだろう。

友人代表スピーチ

 僕には幼馴染がいまして。それはもう長い付き合いの。幼稚園から高校まで同じ学校に通い、同じ部活で、趣味もゲームや漫画アニメと話が合う合う。そんな友人が今度結婚することになりました。その報告を受けた時はもう、超絶嬉しくて。こんなに嬉しいと思えたんだと、自分の感情に驚きを隠せないほどです。

 で、ありがたいことに、友人代表スピーチを任せてくれることになったんです。結婚式の友人代表スピーチといえば、ちょっと笑いありの、新郎(もしくは新婦)がどういった人で、という紹介から、これからお幸せにというようなメッセージを送るのが普通なのかなと勝手に思っています。ただし、残念なことに、僕には会場を笑いに包むセンスはほぼ皆無に等しいのです。じゃあ、しっかりとその友人のことを熱く!熱烈に!紹介、激励しようと考えました。

 が、さらに残念なことに、考えを深めれば深めるほど、僕はあいつのことをあまり知らないんじゃないのかと思えてきました。ここでネガティブが入り、考えがまとまらずに今に至ります。どうしよう。笑

 だから、事細かに彼との思い出を蘇らせるために、人生を振り返ろうと考えたんですね。どういうことを共に成し遂げてきたのか。いつ、どこで、彼との感動のエピソードが生まれたのか。記憶の旅に出かける予定でした。

 さらにさらに、ここで残念なのが、僕は集中力がないので、人生を振り返るっていうけど、そもそも「人生」ってなんだろうという考えに熱が入ってしまったんですね。病気かな、病気じゃないよ、病気だよ(病気)。

人生ってなんだ

 人生ってなんでしょうか。

 人が生きると書くから、やはり人が生きてきた、その道を人生と言うのでしょうか。では、その人の人生とは、結局のところ過去を言い表すんでしょうか。

 今現在生きているのは人生ではなく、ここから先生きていくことも、まだそれは人生になっていないと言うことでしょうか。

 きっと人生は過去だけを表すことではないですよね。その人が生きた道も生きる道も、その生涯全部の体験、経験、感動、変化諸々詰まって人生と言うんでしょうね。知らんけど。

 で。もう少し、人生について考えてみました。概念的なことじゃなくて、字にフォーカスしてみましょう。

 日本語ってやっぱり面白い。

 人が生きる。これも人生。

 人として生きる。これも人生。

 人と生きる。これもまた、人生。

 そう考えるとね、人生って言葉で、ヒトが生きる様を全て読めてしまうことに気づいたんです。おもしれぇ〜。

人として生まれる

 まずは、人として生まれる人生です。

 一人の人として生まれるためには、そのまた親御さんがいらっしゃって、愛の形を具現化したモノとしてこの世に生を受けます。

 生まれ落ちた瞬間から、それはもうヒトであり、人。他の種族ではなく、人として生まれてきます。オギャアと生まれて、何もできない。周りの助けなしでは生きられない。それが人でしょう。

人として生きる

 人として生まれ、人に育てられるのが、多くの人に当てはまることだと思います。そこで人の社会を学んでいき、自分自身を人と認識・自覚し、人として生きていきます。その中で、楽しさや、喜び。時には悲しみや悔しさなど、様々な感情を抱き、表現しながら、人としての生を歩み進めていきます。誰のためでもなく、自分自身が人として生まれたそれぞれの使命を元に、人として生きていきます。

人と生きる

 人として生きる中で、人は人と出会い、関係を築き、深めていきます。その形は様々で、友人、恋人、同僚、先輩後輩、知人、もちろん親子というのも、人と人との関係が産んだ名称でしょう。

 人は誰しもが一人では生きていくことができません。まず、自己を確立するには、他者との比較、差を実感することで、自分=他者ではなく、自分は他者とは違う、唯一の存在だということを認識します。

 また、人には国があり、その国ごとで操る言語が異なっています。人の中でも国に分けられ、その国に属す一人の人として、集団の一人のして生きているので、完全に一人であるということはなかなかあり得ることではないのではないでしょうか。

 自分自身の人生を振り返ってもそうです。誰かとの関係があることで、成長し、価値観が広がり、新しい自分や世界と出会うことができました。人と生きるというのは、必ずしも仲良しこよしというわけではなく、なんらかの形で関わり、変化を及ぼす存在・協力することが当てはまるのではないかと僕は考えます。人として生まれた時点で、完全に一人ということはありません。今僕たちは、誰かとともに生きています。

人を生かす

 これはあえて。笑 人を生むではなく生かすです。

 生物的には、人と人とが結ばれ、生むということが生存競争を勝ち抜く上では正解なのかもしれません。

 しかし、人は、必ずしも子孫を残さないといけないというわけじゃない。わけじゃないというと語弊があるかもしれませんが、子孫を残さないという選択を自分たち自身でできる、考える機能が備わっています。

 だから、人と人とが関わり、人と生きる人生の先には、人を生むだけでなく、人を生かすという道が広がっているとは考えられませんか。

 もちろん、男と女が結婚し、子を産み、育てる。それも、新しい、自分以外の人を生かすと言えるでしょう。
 ただ、他にも。例えば、人との関わりの中の一つで、上司と部下があるでしょう。上司が部下を育て、新しい道を進む、その手助けをする。それは人を生かすということにならないでしょうか。ある人が、友人にはこんなセンスがあると感じ、それを強く伝えた結果、なんらかの形で、その友人の才能が花開いたら。それも人を生かすと言えないでしょうか。人は人と生きる中で、他の人を生かすことができ、また逆に、自分も誰かの力で生かされている(活かされている)のではないでしょうか。

 一定数の人が、人を生む(産んでもらう)という経験をするため、まだ人は増えているのでしょう。人が生まれれば、そこには人生の始まりがあります。人を生かすという点でも、生かされた人が他の人を生かすことも多くの場合あるでしょう。

人生とは

 だから人生とは。

 人として生まれ

 人として生き

 人と生きる中で

 人を生かす

この循環していると感じるような、あるいは同時に進んでいるような曖昧ながらも、確かな時間の流れの中で成長させる様をいうのでしょう。

 だから僕は。その人生の中で。様々な人と出会い、いろんな経験をしてきた中で。一人の人を連れ合いとし、人と生きるという点で最大のパートナーを見つけた友人を心から祝福しますし、結婚という形で、形としても表現することに心の底から尊敬の念を抱きます。

 人生を全うするその過程に立ち合わせてもらえる、そのことに感謝が溢れてきます。

 また、「人」という字。昔の偉い先生が言ってましたね。

 「人」という字は、人と人とが支え合ってできている。

と。もちろんそのようにも見えます。僕はもう一つ、別の見方もできると思います。

 別々の人生を歩んできた人たち。別の方向を見て歩いてきた二人の人たち。その二人の出会いで、価値観が刺激され、成長し、同じ方向をみて歩き出す。「人」という字は、二人の人が交わる道にも見えませんか。上から下に二股へ分かれていくのではなく。下の二股から一筋の道へと繋がっている。書き順的には違いますけど。笑

 だから、誰かと出会い、そこで初めて「人」になる。人が一人では生きていけないのはそこにもつながります。

 いやぁ、人生って最高に面白いですね!

友人代表スピーチ

 と、考えを広げ人生って面白い!と結論が出たところで、現実に戻ります。友人代表スピーチどうしよう。こんな話しだしたら、宗教臭いかなとかね笑

 ほんでね。人生の文字について考えると、人生に死は含まれていないんです。この生きている、生を表現している時こそ人生。逆に、人は死なないのかな!生きてるだけで丸儲け!人ってなんて尊いんだ!生きていることが素晴らしいから、友人代表スピーチも失敗してもいいか!

 まぁそれはダメなんで頑張って考えます。

 今日もここまで読んで下さりありがとうございます。

 生きていることが素晴らしいことです。生きている自分をしっかり褒めてあげましょう。

 自分を認め、自分を褒め、自分の声を大切にする。そうすることで、少しでも多くの人が、自由を取り戻し、人生を楽しめれば良いなと思います。

ほな、今日はこの辺で。おやすみなさい。

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